ブロマンスな韓国社会の背景にあるもの
2016年末の韓国映画界の性暴力問題は韓国社会に残る男性中心文化を明確にした。「#Metoo運動」とはアメリカを中心に展開され、多数の有名女優による告発が相次いだ反セクハラ、反性暴力運動。その影響はお隣韓国にも広がり、多数の被害が報告されることになる。そもそも、韓国では男性監督の数が圧倒的に多く、内容も男性中心であり、その観客の多くは女性に偏る傾向がある。(ペク・ムニム(2017)『브로맨스vs형제브로맨스』, 延世大学ジェンダー研究所)。
このように、近年の韓国映画は男性中心的でありながら、女性観客を意識した映画が多く製作されている。延世大学ジェンダー研究所のソン(2017)は、映画「青年警察」などを例に挙げ、韓国映画のブロマンスにおいて女性は常に犠牲者として描かれるとしている。このことから韓国の「ブロマンス」を題材とした映画から男性像を明らかにし、韓国におけるジェンダー観について触れてみたいと思います。
「ブロマンス」とは
「ブロマンス」とはブラザー(Brother)とロマンス(Romance)を合わせた造語であり、男性同士の親密で精神的な繋がりを示す。韓国では「同性愛ではなく男性間の知り得ない微妙な感情もしくは友情」と定義している。つまり、「ブロマンス」は日本のBL(Boys Love)とは区別され、性的関係を排除した男性間の親密感を意味している。
ペク(2017)によると、「ブロマンス」はアメリカが発祥とされ、映画「The 40 Year-Old Virgin(ジャド・アパトー, 2005)」をきっかけに大衆的な知名度を確立したとしている。一方、韓国では2010年代から「ブロマンス」という言葉が使用され始めた。「ブロマンス」の特徴は主に次の3つを挙げられる。
ブロマンスの特徴
- 「異性愛者」:「I Love You, Man(ジョン・ハンバーグ, 2009)」では、主人公ピーターは異性愛者であり、女性との交際するために男性同士の友情を強化する姿が描かれる。
- 強い親密関係:コーネル(2013)は、「同性愛」として誤解されがちな男性同士の友情は「ブロマンス」で許容され、同性愛とは異なる第3の領域が存在すると述べている。
- 「矛盾的」な関係:「ブロマンス」は同性愛を否定しつつ、「異性愛」を要求する傾向がある。ブロマンスにおいて男性たちは「恋人」に進展しないが、決して「性」に興味がない訳ではない。このような「矛盾性」もまた、ブロマンスの特徴として挙げられるだろう。
韓国のバディ映画
近年、韓国映画では「バディ映画」が人気を得ている。
「バディ映画」の特徴は、男性同士の結束を強化した上で、共通の敵や社会的目標に向けて戦う男性の姿が描かれる点である。これらの映画には「家庭」や「女性」が存在し、男性が守るべきものとして描かれている。以上を踏まえ、韓国映画における「ブロマンス」の表象と同時に、ジャンル的な特徴やジェンダー観について分析する。
ブロマンス映画分析
ここからは韓国のブロマンス映画を自分なりに分析したものです。ブロマンス系映画はたくさんの作品がありますが、2000年以降のもので、自分好みの映画を選んでいます。ブロマンスに興味がない方でも楽しく見ることができる星4つ級の映画ばかりでおすすめです。
「友へ-チング-(2001)」シナリオ分析
上下関係ブロマンス
クァク・キョンテク監督の映画「友へ チング(2001)」は、1976年代の韓国・釜山を舞台に幼馴染の男性たちと暴力組織の世界を描いた大ヒット作。映画の舞台の釜山は、ソウルに続く韓国第2の大都市だ。一方、独特な「方言」により「地方色」が強く認識されている。
映画には4人の主要人物が登場する。優等生のサンテク、両親が貿易業を営むジュンホ、貧しい葬儀屋の息子ドンス、そして暴力団の父を持つジュンソクである。4人は同じ釜山出身の同級生であり、「友情」として映画冒頭では描かれている。一方、映画では4人の中にある見えない上下関係を示唆している。
友情にも食い込む男の秩序
主に、映画ではドンスとジョンソクの関係性と葛藤を描き、優等生のサンテクはその中心にいる人物であることがわかる。ドンスは「序列」を否定し対等な関係を望むが、ジュンソクはドンスよりも、エリートのサンテクを友人として迎え信頼する。ドンスとジュンソクは互いに敵対する暴力組織に所属し、二人の友人関係を敵対へと変えている。ドンスは自分を殺害しようとした犯人としてジュンソクを疑う。この場面からは、ドンスがジュンソクに対等な友人関係を望みつつ、そうでない見返りに誤解を生んだことがわかる。ドンスはジュンソクと再び友人関係に戻ろうとするが、結果的に殺害されてしまう。
表面上は「友情」という人間関係も「上下関係」が存在し、それを破ろうとしたドンスは「死」という名目で処罰される。以上から、『友へ』は上下秩序を崩した男性の処罰と、それらを「友情」の情と義理で描いた映画であることがわかる。「友情」という男性同士の友情から家父長的秩序を示唆している。
「シークレット・ミッション(2013)」
南北スパイブロマンス
チャン・チョルス監督の映画「シークレット・ミッション(2013)」は北朝鮮スパイのリュファンを中心に韓国での潜伏生活をコミカルに描いた作品である。北朝鮮男性を主人公とすることで、彼らを主体とした「ブロマンス」が映画の主題となっている。
この映画における北朝鮮男性のイメージはとりわけ「ハンサム」であり肉体的訓練を受けた男性として描かれている。中でも、「腹筋」描写は21世紀の韓国男性で一番重要な身体的特徴を表している(ペク, 2017)。そもそも、韓国での「モムチャン(몸짱)」熱風は、1980年代にアメリカで登場した「マッチョ男性」とは明らかに異なる傾向を見せている。韓国でもアメリカと同様に、男性の「筋肉」や「腹筋」が求められるが、韓国では「細マッチョ」な男性が好まれる傾向にある。ペク(2017)によると、この傾向は韓流アイドルにも当てはめることができ、アジア的男性像の一つだとしている。以上から、映画では韓国人の理想男性像を北朝鮮男性に投影することで、より親しみやすい物語設定となっている。
アジア的な理想の男性像投影、北側にも
この傾向は、映画「義兄弟(2010)」にも見ることができる。カン・ドンウォン演じる北朝鮮男性は若くハンサムな姿で描かれている。一方、ソン・ガンホは中年の韓国人男性を演じており、決してハンサムには描かれていない。既存の韓国映画とは異なり、北朝鮮男性を人間的に描くことで新たな好感を得ている。一方で、「中年男性」は劣っているとのメッセージを与えかねず、韓国内における「男性像」を良くも悪くも反映している。
「JSA(2001)」
南北ブロマンスの代表
パク・チャヌク監督の映画「JSA(2001)」は、「南北ブロマンス」の代表的映画と言っても過言ではない。「韓国型ブラックバスター」での「南北ブロマンス」映画の中でも、「JSA」は初期に製作されたことがわかる。
あらすじは、38度線の共同警備区域を舞台に、北朝鮮軍と韓国軍の密かな交流と悲劇を描いている。この映画における「ブロマンス」の特徴は、「兄弟関係」と「民族主義」が挙げられる。映画「2009ロストメモリーズ(2002)」では日韓男性による「ブロマンス」を描いた。このような日韓ブロマンス映画は「マイウェイ(2012)」を最後に製作されていない。「マイウェイ」ではチャン・ドンゴンとオダギリジョーのタッグを描いたものの、日韓の歴史的関係性がバネとなり、それ以上の共感を得ることは難しかった。
朝鮮半島に伝わる兄弟関係への共感
「JSA」ではイ・ビョンホン演じる韓国兵イ・スヒョクが、ソン・ガンホ演じるオ・ギョンピルに「ヒョン(兄)と呼んでもいいか?」と尋ねる場面がある。北朝鮮と韓国は互いに敵国であるが、古くから朝鮮半島に伝わる「兄弟」関係を描くことで共感を得たと考える。
最後に、「JSA」で北朝鮮軍を演じたソン・ガンホは「義兄弟」では韓国の中年として演じている。これらの違いからは、韓国における北朝鮮男性像の変化を伺える。
「ドンジュ(2015)」
帝国トラウマのブロマンス
イ・ジュニク監督の「ドンジュ (2015)」は、尹東柱の生涯を過去の回想と合わせて描いた作品。尹東柱は1917年に満州の誠実なキリスト家庭に生まれ、25歳(1942年)で日本の立教大学英文科に留学をした。その後、同志社大学英文科に移るが帰国の際に警察に逮捕され投獄された末、祖国解放の直前に獄死してしまう。不幸にも、尹東柱は1945年の朝鮮半島解放と同時期に福岡刑務所で亡くなったのである。
尹東柱の詩には、「植民地主義のトラウマ」、「キリスト教」、「ディアスポラ」の視点が抽象的に表現されている。同時に、この映画では尹東柱の親友である、ソン・モンギュが描かれている。二人は1935年生まれの同級生。
二人の関係に「信頼」と「劣等感」
キム(2016)は、尹東柱とソン・モンギュの関係性について「互いのどちらかが欠けると存在できない」と述べている。尹東柱にとってソン・モンギュは互いに信頼する友人であり、二人の間に存在する「ブロマンス」を示唆している。一方、尹東柱が詩を書き始めたキッカケについて、「ソン・モンギュに対するコンプレックスを克服するため」だと分析している。実際に、尹東柱がソン・モンギュへの劣等感を感じていたのと当時の証言が多数残されている。以上から、二人の関係には「信頼」と「劣等感」が存在している。また、皮肉にも尹東柱はソン・モンギュを追いかけ京都の同志社大学に行った後、逮捕され福岡刑務所で一生を終えてしまう。
このように、映画「ドンジュ」では、尹東柱はソン・モンギュとの「ブロマンス」から、植民地主義のトラウマと当時の若い男性同士の葛藤を分析することができる。
韓国映画「タクシー運転手(2017)」
監督のチャン・フン=「ブロマンスの達人」
最後に、映画「タクシー運転手」は、「5.18광주민주화운동(光州民主化運動、光州事件)」の実話を元とした作品である。ドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターと韓国人のタクシー運転手キム・マンソプの友情を描いている。監督のチャン・フンは「ブロマンスの達人」と呼ばれ、これまで「映画は映画だ(2008)」、「義兄弟(2010)」などの「ブロマンス」映画を手がけてきた。中でも、「義兄弟」は北朝鮮と韓国のスパイの「兄弟ブロマンス」を描き話題となった。
外国人とのブロマンス
一方、「タクシー運転手」では韓国人男性とドイツ人男性との友情を実話を元に描いている。この映画から、韓国人同士の「ブロマンス」と異なる点をしばしば見ることができる。
中でも大きな違いは「言語の壁」である。映画でのマンソプとピーターの共通言語は英語(もしくは韓国語)である。互いに言語が通じず意思疎通が不可能なことから、対立する様子も描かれる。当初、二人は「友人」ではなくあくまで「ビジネス」関係であった。「ノー光州、ノーマネー、ビジネス」というセリフからも、二人の関係性を示唆している。
また、マンソプは言語の違いからピーターの目的を理解しないまま光州に向かう。当時、光州での出来事について韓国内では強い情報規制により知られていなく、マンソプもその一人である。マンソプにとって、光州事件は彼の母国で起きた出来事であると同時に、ソウルに住む人から見た外部での出来事でもある。しかし、光州の悲惨さを知ったマンソプはピーターを信頼し命がけで彼に報道を委ねている。その間にも、マンソプやピーター以外に光州の人々との様々な交流が描かれていた。ここでのもう一つの違いは「年齢」による上下関係である。
年齢の差という上下関係
マンソプと光州の人々との交流では、あくまで民族意識が働き明確に年齢は聞かないものの、年の差を意識した会話や関係が描かれている。一方、ピーターとの関係においては年齢だけでなく、名前すらも互いに知らない状態である。ただ、二人の間には職業や身分上の上下関係は存在している。が、「兄弟ブロマンス」のような年齢による上下関係はここでは存在していない。
以上から、「韓国人」と「外国人」との「ブロマンス」は従来の韓国人同士もしくは南北男性とは別のアプローチで描かれていることがわかる。
おわりに
韓国映画の「ブロマンス」は「兄弟関係」を色濃く描写することで、民族的側面を強調し大衆の共感を得た。一方、「タクシー運転手」では韓国人と外国人との友情を描き別のアプローチから「ブロマンス」を表現している。「シークレット・ミッション」などの作品では、韓国内での理想男性像と北朝鮮男性への認識の変化を明らかにした。
韓国映画界が抱えるジェンダー問題
しかし、このような映画では常に「女性」が弱者となっている現状がある。韓国は世界第3位の映画消費国であり、映画が韓国社会に与える影響は大きい。韓国映画界が抱えるジェンダー問題は今後、解決すべき問題であり韓国社会における認識の変化も見込めるだろう。
参考文献
- ペク・ムニム(2017)『브로맨스vs형제브로맨스』, 延世大学ジェンダー研究所
- ユ・ジナ(2002)『Using the Gangster Genre as Comedy Their Own League – A Study of Male Fantasy』, 韓国映画学会
- ソン・ソンウ(2002)『영화 친구에 내재한 신화적 인식』, 내러티브 제4호
- アン・ビョンチョル(1997)『사회변동과 가족』, 未来人力研究センター
- チェ・フィスク(2012)『한국사회 폭력이미지와 활력이미지의 계보 -5·18 광주소재 영화들을 중심으로-』,韓国芸術総合大学 藝術専門誌
- キム・エリ(2016)『이준익 감독이 이야기한 ‘동주’』, HUFFPOST(2019年1月31日アクセス)
- ジョ・ボンクォン(2017)『‘마초’ ‘브로맨스’ 한국남자의 남성성 묻다』国際新聞(2019年1月31日アクセス)